【神武・海道東征】 イハレビコ誕生(5)建国の大業祈り 身を引いた妻 【産経新聞】

【神武・海道東征】

産経新聞:【神武・海道東征】イハレビコ誕生(5)建国の大業祈り 身を引いた妻 より

 カムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)の幼少期や青年期を全く書かない古事記が唯一、東征前のことで触れているのは結婚のことである。
 〈日向(ひむか)に坐(いま)しし時に、阿多(あた)の小椅(をばしの)君(きみ)が妹(いも)、名は阿比良比売(あひらひめ)に娶(あ)ひて、生みたまへる子、多芸志美美命(たぎしみみのみこと)、次に岐須美美命(きすみみのみこと)、二柱(ふたはしら)坐(いま)す〉
 日本書紀はこう書く。

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産経新聞:【神武・海道東征】
http://www.sankei.com/west/news/150118/wst1501180002-n1.html


高原町の名所 吾平津神社

吾平津神社

宮崎県webサイト「ひむか神話街道」より
カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の妃アヒラツヒメを主祭神とし、通称「乙姫神社」と呼ばれています。
アヒラツヒメは神武天皇の東征には同行せず、この地でその成功をお祈りしたと伝えられています。

宮崎県webサイト「ひむか神話街道」
http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/100map/legendlist/074/

由緒沿革

http://takachiho-miyazaki.jp/archives/401/

地図

〒887-0005 宮崎県日南市材木町9-10

写真

吾平津神社 乙姫神社


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